何が何でも創作週間 5日目は日曜日に

毎週金曜日に100% Orange Juice!を遊ぶ習慣があり、かつ土曜日のオフ会の準備と当日の参加の為、何が何でも創作週間の5日目は日曜日にします。

週間定めておいて変えちゃうって、意思弱いなぁ(´・ω・`)

 

あ、5日目の進捗報告と一緒に総括もします。

以下、余談。


最近「ライドゼロ」というリズムゲームにハマっているのだが、今朝の通勤中にとあるシナリオを見て心に刺さるものが。

エンジニアの「スターニャ」が背負っているマシンに興味を持ったクルーが「マシンを触らせて欲しい」とスターニャに言うと血相を変えて拒否する、という話。
「R-0」(4枚目左のアンドロイド)が脈拍の乱れを見抜き、何故かを聞くとそれは過去のトラウマ、「或る奴」に勝手にマシンをいじられて周りを危険にさらした出来事が原因であるとスターニャが教えてくれる(この辺のストーリーって別作品で触れられてる?不明)。

最初はスターニャが自身で作ったマシンに対してただ神経質なだけかと思っていたが、これを見た途端に急に親近感を覚えた。

まだ数こそ少なけれども、私もいくつかはモノを作っているが、その目的は自分がラクするためであるとか、周りが楽しめるようにと思って作っているわけで、あくまで誰かをただ悲しませるためだけに作っているのではない。
作った自分はただ真っ当な目的のために使うことを想定している。しかし、それが他人の手に渡った時、その時思い描いていた真っ当な目的だけに使われるとは限らない。
一番の問題が、他人がそれを使って誰かを悲しませること、傷つけるようなことが起こった時。もちろん誰が悪いかと言えば、それを行った本人である(昨今の日本を見ると、モノの作者も咎める風潮になっているような感じもするが)。
しかし、トリガーとなったのは作者が作ったモノである。私からしてみれば今までに作ったモノは自分の子供、あるいは分身のようなものだ。別に悪事を働くために作ったわけでもない”彼ら”が、「直接手を下している」のである。そうなった時、罪の意識を背負い、やり場のない怒りを抱え込む。あるいは、次にまた誰かを悲しませてしまうかもしれないという恐怖に襲われるだろう。

そうなった時どうするかといえば、「他人に触らせない」ことである。

他人の手に渡らなければすべて自分で責任をもち、制御できれば良い。想定外のことに使われる心配もない。管理を怠らなければ”彼ら”によって引き起こされるであろう悲しい出来事はほぼなくなるのだ。それがどれだけ作者にとって安心できることか。

もちろんこの反応はかなり後ろ向きであることは確かだ。ただの人間不信である。惨劇を回避するためとはいえ、必死に他人の手から引きはがそうとする姿はただのヒステリックとしか言えない。
ただし過去に悲しい出来事が起こっていたのならば、それだけ必死になるのもわからなくはない。また同じようなことが起こるのは御免だから。

スターニャは基地に設置していた発明品の自衛システムの修理、そこにR-0の介入を経て、皆が皆、「或る奴」と同じな訳ではないことを実感し、心を開く。
スターニャとR-0の仲が深まったようで何よりでございますよ。ええ。

どうしても極論に偏ってしまうけど、誰もが発明品を悪用しないような、優しい世界だったらどれだけ良かったかな、とは思ったりもする。それだけで作者は心置きなく自由にまた次のものを作れるだろうから。
まぁそんな世界なんて来るわけもないし、自分自身の目でちゃんと使いこなしてくれるか見極める必要がありそう、って感じですかね。私からすれば。